舞台は18世紀のフランスはパリ。町は汚濁と猥雑にまみれ、至るところに悪臭が立ちこめていた。そこに、まったく体臭のない男がいた。男にないのは体臭だけでない。恐ろしく鋭い嗅覚と、「ニオイ」への異様なまでの執着以外に、男には何もなかった。
その男の名はジャン=バティスト・グルヌイユ 、生まれながらにして超人的な嗅覚を持っていた。ある時、グルヌイユは街ですばらしい香りと出合う。
その香りを辿っていくとそこには1人の少女がいた。少女の香りに初めて幸せを感じたが、誤ってその少女を殺害してしまい、少女の香りは失われてしまった。
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しかし、その香りを忘れられないグルヌイユは、少女の香りを再現しようと考え、橋の上に店を構える香水調合師バルディーニに弟子入りし、香水の製法を学ぶ。そんな男の異常な研究が生んだものとは…
"パフューム"は、去年観たなかで個人的に一、二を争う映画でした。その原作が本書なのですが、映画に勝るとも劣らない衝撃を受けました。映画化するのがとても難しい小説だと思います。しかし、奇才トム・テイクヴァは、よくぞ忠実に再現したなという印象です。映画と同じように、ありとあらゆる様々な「匂い」や「臭い」が感じられる小説です。小説から「ニオイ」を感じるとは、不思議なのですが、とにかくこれ以外言いようがないのです。
物語は至高の香りを求めて、めくるめく「ニオイ」� ��饗宴が繰り広げられます。ドアノブのにおい、石のにおい、動物のにおい、木のにおい、そして花々の香り、果ては目立たない人のにおいに至るまで、ありとあらゆる「ニオイ」が立ち込めてきます。
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そんな魅惑の芳香と汚物の芬々たる悪臭、本書ではこの2つのコントラストが激しい描写となって読み手に襲いかかってきます。肥溜めに膝まで浸かりながら薔薇の香りに陶酔しているような、そんな不可解な気分です。
ドイツ文学らしい、ロジカルな文体は日本人にはとっつき難い部分もありますが、その辺は訳者が巧みに翻訳しています。芝居がかったロジックの奔流のような秀逸な訳です。その表現は、描写がリアルで細かくあまりにも緻密なので、フィクションかノンフィクションどっちなのかという錯覚に陥ります。
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結構残酷な描写もありますが、全体としては古典的ファンタジーの要素が強く、奇想天外、どことなくグリム童話的な雰囲気も漂います。ストーリーも舞台も登場人物も、実に巧妙に展開しています。独特の雰囲気を背景に展開されるストーリーは、映画で流れは知っていたものの、良い意味で驚きと裏切りの連続でした。結構長い話ですが、映画と同じようにそれを全く気にさせない作品、テンポよく、一気に読ませます。
愛を知らず、神をも恐れぬ主人公グルヌイユ、彼とともに限りなく奥深い嗅覚の世界を彷徨い、陶酔させられました。目的達成のために次第に成長する主人公、人としての規範から逸脱させてしまうほど� ��才能、その恐ろしさは、彼のインモラルな行動を肯定しそうになる己へ向けられたものと同一なのかも知れません。
得てして"美"とはこういうものなのでしょう。どんなに人を魅了し幻惑させるものでも、それが作られる舞台裏は醜悪で生々しいものが満ちています。本書で主人公が作る香水のように、それは人を感涙させ感動させるなにかがあります。
人はなにかしらどこかが欠けているもの、その欠けたものを狂おしく求めるのは「背徳」でもなんでもなく、人として当たり前のこと、その行為はときに人に感銘を与えます。しかしグルヌイユにとってのそれは「仮面」でしかなく、自己、つまり彼自身の「香り」の喪失に絶望し、彼はこの世から跡形もなく消え去ります。
その「究極の香り」を手に入れたグルヌイユが下す結末は、映画と同様、衝撃的で切ないものでした。本小説を読み終えたとき、花粉症で嗅覚が鈍いなずのに、周りにあるもの全ての「ニオイ」に対し鋭敏になったのは気のせいでしょうか。
頁をめくり、想像することが読書の醍醐味だとすれば、まさに本書は読みながら様々なものを五感で感じるための一冊。魅惑と幻惑と困惑、最後まで正体を掴めさせない魁作でした。
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